ウォルト・ディズニー後のミッキーアニメ『ミッキーの消防夫』他

『ミッキーの消防夫(The Fire Fighters)』1930年6月20日公開作品

『ミッキーの消防夫』
ネコのしっぽを回してサイレンを鳴らすミッキー

『ミッキーの消防夫』は、ホレス・ホースカラーと多くの動物たちが消防士となりビルの消火活動を行う作品で、後半はビルに取り残されたミニーの救出劇がある。

『ミッキーの消防夫(The Fire Fighters)』

かなり笑わせてくれる面白い作品だが、ウォルトディスニーが手掛けたアリス・コメディシリーズ1926年の作品「アリスと消防士」のほぼトレース作品となっているので、100年前にこういったアニメを作り上げたウォルトの凄さを感じる。

消防士を題材とした作品は他にも、1935年の『ミッキーの消防隊』やミッキーが登場しないドナルドダックの短編シリーズの1940年の作品、『ドナルドの消防隊長』があるがどれも面白い作品です。

『ミッキーのダンス・パーティー(The Shindig)』1930年7月11日公開作品

『ミッキーのダンス・パーティー』

この作品は、今まで牛として描かれていた「クララベル・カウ」「ホーレス・ホースカラー」が初めて、完全に擬人化されて登場する作品として有名。

クララベルは本を読み乳房を隠すためにドレスを着、ホーレスはバイクに乗りクララベルをサイドカーに乗せる。
ここでクララベルが読んでいた本は『Three Weeks』となっているが、これは1907年の有名なエロティック恋愛小説で、細かい演出がある。

なお、邦題で『ミッキーのダンス・パーティー』は1930年の本作品と1947年の作品の2つがあるが、原題は「The Shindig」「Mickey’s Delayed Date」となっており、2つは別の作品。

『ミッキーのダンス・パーティー(The Shindig)』
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歴史的な作品を生み出した「バート・ジレット監督

今回紹介した2作品はバート・ジレット(Burt Gillettが監督した2作目3作目の作品となっている。
彼は1929年12月18日公開『ミッキーの海山越えて(Wild Waves)』監督デビューを果たし、同時にこの作品は、ウォルトディズニー以外が監督した初めてのミッキー作品ともなった。

なお、『ミッキーの海山越えて』は、ウォルトディズニーと二人三脚でディズニー社とミッキーマウスを育ててきたアブ・アイワークス(Ub lwerks)がウォルトディズニーとの不仲によりディズニー社を去ることとなってため、アイワークスがアニメーターを務めた最後のミッキーのアニメ作品でもある。

ウォルトは経験豊富なアニメーターを求めてニューヨーク市を訪れ、ジレットを雇うことになったが、ウォルトと共にミッキーを生み育ててきたアイワークスが離れてしまう結果となってしまった。
アイワークスは、1940年にウォルト・ディズニー・カンパニーへ戻り、特殊効果技師として様々なアニメーション作品やテーマパーク製作にも携わることとなるが、再びミッキーのアニメーションに関わることはなかった。

ジレットは、1891年時計職人の子として生まれ、美術学校で学んだ後、新聞漫画家/ライターとなりった後、いくつかのスタジオで短編アニメ監督を務め、1929年からディズニー社で働くこととなった。
彼は1937年まで35本の作品を手掛け、その中には、世界初のカラーアニメーション映画でアカデミー賞短編アニメ賞を受賞したシリー・シンフォニーシリーズの『花と木(Flowers and Trees)』(1932年7月30日)、同じくアカデミー賞短編アニメ賞を受賞した『三匹の子ぶた(Three Little Pigs)』(1933年5月27日)がある。

しかし精神的不安定であったため問題も多く、1940年にアニメーション業界から去って行き、その後西海岸に留まり、1971 年にカリフォルニア州ロサンゼルスで亡くなった。

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