作品を見ればわかる『花と木』の想像力の凄まじさ
1932年7月30日に公開された『花と木(Flowers and Trees )』は、バート・ジレットが監督を務め、1932年第1回目の「アカデミー賞短編アニメ賞」を受賞した作品。
物語は、ある森の朝から始まる。
動物ではなく「木」が主役の特殊な設定。
前半は小鳥のさえずりと共に、木や花、キノコたちが目を覚まし、そこに「男性の木」と「女性の木」があって互いに恋をする。
後半はそれに嫉妬した別の木が火を起こし、森に火が燃え広がる中でストーリーが展開して行く。
ストーリー自体は目新しさは無いが、この「木」を主役として擬人化し物語を作り上げる、ディズニーのこの想像力の凄さには圧倒される、そんな作品です。
今見てもそう思えるんだから、約100年前にこの作品を初めてのカラー作品として見た人の衝撃は、現代人には想像できない破壊力があっただろう。
当時のカラー技術と『花と木』の成功
この「花と木」の撮影に使われた世界初の三色式テクニカラーカメラは1932年5月に完成した。
カラー映画の技術は「キネマカラー」という技術が1909年にはすでに使用されていたが、色の不鮮明さ、色ズレ、眼の疲労などの欠点があり、その後、1916年アメリカで新技術「テクニカラー」が開発され新たなカラー映画彩色技術として使用されていた。
当初はキネマカラー同様に”二色法”だったが、その後に世界で初めて”三色法”での彩色技術として改良されたのがこの「三色式テクニカラー」でした。
この技術に関心を持ったウォルトディズニーは、すでにモノクロで製作されていた『花と木』をカラーで作り直すよう命じて、実験的に試すことにした。
この最新技術を用いた撮影は、モノクロ作品に比べ、数倍の予算が必要となるため、ディズニー社は財政的に破綻する可能性もあったがウォルトはそれを決行。
結果、公開された『花と木』は大好評となり、予算オーバー分を利益で補うことができた。
因みに、ミッキーシリーズの最初のカラー作品は、1935年2月の『ミッキーの大演奏会(The Band Concert)』であったのに比べて、シリーシンフォニーの最初のカラー作品は1932年7月と2年半も早く公開されている。
これは、このシリーズが最新技術の実験場であったこととも関係しているが、ミッキーの短編シリーズはカラーによる後押しを必要としないほど成功していたこと、また、当時のカラー作品はモノクロ作品と比べて3倍の製作費が必要であり、多くの編集時間と特別な大きなカメラが必要であったことなどの要因がある。
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