今までもたくさん童話や神話などを基にしたお話は紹介してますが、紹介しきれなかった作品も多数あり、まとめて紹介します。
『ノアの箱舟(Father Noah’s Ark)』1933年4月8日公開作品
聖書の創世記にあるノアの物語を基にした「シリーシンフォニーシリーズ」作品。
物語はノアが息子のセム・ハム・ヤペテとその妻たち、そして多くの動物たちと共に箱舟を建設しているところからはじまります。
ノアが歌いだしたり、動物たちがそれぞれの能力を生かしながら、建設に協力しているところに、ディズニーらしさを感じさせます。
やがて舟が完成したところで雨が降りはじめ、動物たちがつがいでそれぞれ船に乗り込む。
そこでなぜかスカンクのつがいだけを舟に乗せないちょっと謎な設定。
その後、スカンクのつがいは舟の屋根の上に乗ることはできたようですが、臭いからなのかどうか不明?
Today marks the 91st anniversary of the animated #SillySymphony short "Father Noah's Ark".
— Disney Wiki (@Disney_Wiki) April 8, 2024
The first Disney version of the Bibilical tale of Noah, his ark, and its greatest inhabitants, along with their efforts to weather the great flood. pic.twitter.com/QZzsFJ9RGD
嵐の中、神を賛美しながら40日が過ぎ、やがて水が引いて地上に降り立つノアの家庭とそれぞれ子供が生まれた動物たち家族。
スカンクの処遇だけが気になる作品です。
『ハーメルンの笛吹き(The Pied Piper)』1933年9月16日公開作品
この物語は、現在のドイツの街ハーメルンにおいて1284年6月26日に起きたとされる出来事についての伝承で、グリム兄弟を含む複数の者の手で記録に残され、「ハーメルンの笛吹き男」として現代まで伝わっている民話。
不明な点も多いが実話を基にしていると考えれ、移住、子供の十字軍、巡礼、溺死、山崩れ、誘拐、疫病など解釈は様々。
1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。
そこで市長は「ネズミを退治してくれた者には、報酬として金貨100枚を与えよう!」と言った。
ある日、笛を持ち、派手な衣装を着た男が現れた。
男が街の広場の真ん中で笛を吹き始めると、街じゅうのネズミ達が一斉に集まって、男はそのまま川にねずみを誘導し、残らず溺死させて駆除が終了する。
しかし、ネズミ退治が終わると、ハーメルンの人々はあまりに簡単に駆除が終了したことから、金貨100枚という報酬は対価が釣り合わないと言い、報酬を払わなかった。
約束を破られた男は「では今夜、代わりに『あなたたちの大切なもの』をいただきましょう。」と言い姿を消した。
その夜に再び街の広場に現れた男が笛を吹き始めると、家から子供たちが一斉に出てきて男の元へ集まって来た。
130人もの少年少女は笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、山腹にある洞穴の中に入っていってしまい、二度と戻ってはこなかった。
ディズニーの話はおおよそ原作と同じだが、最後は原作に書かれていない描写が2つある。
一つは子供たちがみんな労働をしていることと、子供たちは笛吹き男に喜んで付いて行き、最後洞窟の岩を開けるとその奥は明るく、こどもの国のような世界になって、そこで子供たちが楽しく暮らすという内容。
当時の時代背景を考えないとわからないが、当時のアメリカには孤児が多く、「児童労働」の問題についての風刺なのかと思う作品です。
『サンタのプレゼント(The Night Before Christmas)』1933年12月9日公開作品
この作品はクレメント・クラーク・ムーアの1823年の詩と言われる『クリスマスのまえのばん』(または『サンタクロースがやってきた』)を基に作られている。
なお、原題は”A Visit from St. Nicholas”であり、訳すと”聖ニコラスの訪問”となる。
クリスマスとサンタクロースのあり方に大きな影響を与えた詩であり、現在でも米国を中心にクリスマスを迎える時期に広く朗読されている。
長いですが英文の原詩訳を紹介します。
それはクリスマスの前の晩、家中で
生き物は、ネズミさえも動かなくなったころ、
靴下は煙突のそばに下げられていて、
サンタクロースが来るのを待っていた。
子供たちはベッドに寝静まって、
頭の中で砂糖入り菓子が踊っていて、
ママは布をかぶっていて、私は帽子をかぶり、
長い夜の眠りについた時に。突然外の庭で大きな音がしたので、
私はベッドから飛び起きて、何だろうと思い、
窓のそばにいって、雨戸を開けた。
降ったばかりの雪の上に月が
昼間のように光を投げていた。
すると目の前に何と
小さなソリと八頭のトナカイが見えて、
御者が元気なおじいさんだったので、
サンタクロースだとすぐ分かった。鷲よりも速くトナカイたちは飛んできて
サンタさんは大声で名前を呼んだ。
「そらダッシャー、そらダンサー、それプランサー、ヴィクセン、
行けコメット、行けキューピッド、ドナー、ブリッツェン、
ポーチの上まで、煙突の上まで!
早く走れ、それ走れ、みんな走れ!」
ハリケーンの前で枯葉が舞うように、
何かにぶち当たると、ソリは空へ舞いあがる、
だからトナカイたちは家の屋根の上へ飛んで行った、
おもちゃがいっぱいのソリとサンタクロースを載せて。私が驚いていると、屋根の上に
トナカイたちがコトコト動いているのが聞こえた。
頭を引っ込めて、ぐるりと回したら
サンタさんがポンと煙突を下りてきた。
サンタさんは頭から足まで、毛皮の服を着て、
それが灰とススにまみれていた。
後ろにはおもちゃを沢山背負って、
包を開く前の行商人のようだった。
目が光っていて、えくぼが幸せそうで、
頬は紅色で、サクランボみたいだった。
小さな口を弓のようにして、
あごには雪のように白いヒゲを生やして、
歯にはパイプをきつくかんで、
煙が花輪のように頭をめぐっていた。サンタさんの顔は広くて、丸いお腹は
笑う時に震えて、ジェリーが入ったボウルのようだった。
かわいく太っていて、愉快な妖精のようだった。
思わず笑ってしまった私に
目をウィンクして、頭をかしげたので、
何も怖くないとすぐ分かった。
言葉は何も言わなくて、すぐ仕事に取り掛かって、
靴下をいっぱいにして、くるりと身を回して、
そして指を鼻の脇に置いて、
それからうなづいて、煙突を登っていった。それからソリに飛び乗って、トナカイたちに口笛を吹いて、
Wikipedia「クリスマスのまえのばん」より
枯草が舞うように、飛んでいってしまった。
でも見えなくなる前に、サンタさんが叫ぶのが聞こえた。
「クリスマス、おめでとう!みんな、お休み!」
ディズニーの作品の特徴は、おもちゃの描写が長く、子供たちの両親は出てこない。
更に8人の子供たちが登場する。
子供が8人もいることからこれも孤児院に来たサンタクロースという設定なんじゃないかと思う。
おもちゃがサンタクロースのラッパで動き出し、クリスマスツリーを作り上げていく設定などあって、ディズニーらしい夢のある物語になっている。
DisneyPlus would so be doing it right in celebrating Christmas if they'd just rerelease the two Silly Symphony cartoons "Santa's Workshop" AND "The Night Before Christmas" as part of their Christmas lineup for December.
— 🌔🎃 Stefhof Der Ghul 🍂 🍭 (@ThePolishArtist) November 1, 2023
Really, that's all I'm asking. #DisneyPlus #Disney100 pic.twitter.com/CjETyiQxmK
ディズニーに多大な貢献を残したウィルフレッド・ジャクソン
今回紹介した3作品はすべて「ウィルフレッド・ジャクソン(Wilfred Jackson)」監督作品となっている。
彼はウォルトも認める凄腕のアニメーターで、1928年アニメーションの仕事にあこがれていたジャクソンは、親友の知り合いを通じて、何とかウォルト・ディズニーに合うことができ、彼のために無給で働くことを志願。
ディズニーは同意し、ジャクソンはセル画の洗浄からボランティアからスタートした。
その時、ディズニー社はまだオズワルト時代で、後のユニバーサル社のディズニー社の社員の引き抜き工作にめげなかった一人でもあるジャクソンは、すぐに頭角を現わし、1928年『蒸気船ウィリー』の音楽とアニメーション融合させる技術に大きな貢献をした。
その後、多くの「ミッキーマウスの短編シリーズ」と「シリーシンフォニーシリーズ」を監督し、1935年に監督を務めた『うさぎとかめ(The Tortoise and the Hare)』と『田舎のネズミ(The Country Cousin)』(1936年)、『風車小屋のシンフォニー(The Old Mill)』(1937年)の三作品でアカデミー賞短編アニメ賞を受賞。
「白雪姫」では演出に携わり、1961年に退社するまでに「シンデレラ」「ふしぎの国のアリス」「ピーター・パン」「わんわん物語」では共同監督を務めたが、1959年『眠れる森の美女』を制作中に心臓発作を起こし、その後しばらく復帰するも1961年に引退。
1988年8月7日にカリフォルニア州バルボア島の自宅で82歳で亡くなった。
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