『白雪姫』(原題:Snow White and the Seven Dwarfs)がアメリカで公開されたのは1937年12月21日(昭和12年)でした。
日本は日中戦争の真っ最中でもあり、世界は第二次世界大戦が勃発する約2年前の世界的に非常に緊迫した時代でした。
日本での公開は13年後の1950年9月(吹替え版公開は1958年)となったが、当時『白雪姫』を観た人たちは、第二次世界大戦以前にこれ程までに質の高いアニメーションを制作していた事実と、制作を実現したアメリカの圧倒的国力に驚愕したという。
特に手塚治虫が感銘を受け、『白雪姫』を50回、続く『バンビ』を80回以上観たという話は有名で、ホームビデをの無い時代、独自のルートでフィルムと機材を入手し見ていたといわれる。
アニメーション業界に革命をもたらした『白雪姫』は、単なるエンターテインメントに留まらず、「アニメーション」というジャンルを確立する礎となった作品でした。
基本データ
監督:デイヴィッド・ハンド
製作:ウォルト・ディズニー、ロイ・O・ディズニー
脚本:テッド・シアーズ他
原作:グリム兄弟
音楽:フランク・チャーチル、リー・ハーライン、ポール・J・スミス
公開:1937年12月21日
(日本公開:1950年9月26日/吹替え版公開1958年)
上映時間 83分
製作費 170万ドル
興行収入(初回) 6100万ドル
(累計興行収入 4億1800万ドル)
監督を務めた「デイヴィッド・ドッド・ハンド(David Dodd Hand)」は、1930年にディズニースタジオに入社、1932年までにはスタジオのトップアニメーターの一人とみなされ、バート・ジレットとウィルフレッド・ジャクソンに次ぐ3番目の監督に彼を抜擢し、「シリー・シンフォニーシリーズ」と「ミッキーマウスの短編シリーズ」で多くの監督し、長編では1942年8月公開の『バンビ(Bambi)』、1943年7月公開の(日本未公開)プロパガンダ作品『空軍力の勝利(Victory Through Air Power)』の監督をした。
ウォルトと一歳違いだった彼はウォルトの親しい友人ともなった。
Happy Birthday to the late #DisneyLegend, David Hand
— Disney Wiki (@Disney_Wiki) January 23, 2023
He was an animator and filmmaker.
Hand worked on numerous Disney shorts during the 1930s, eventually becoming a supervising director on the animated feature films: #SnowWhite and and #Bambi. pic.twitter.com/BgaNaFgHgb
『白雪姫』ってどんな話?
1937年のディズニー『白雪姫』のあらすじ
幼い頃に両親を亡くした白雪姫は、意地悪で冷酷な継母である女王と暮らす王女。白雪姫の美しさに嫉妬していた女王は、白雪姫を掃除係として働かせ、毎日魔法の鏡に「世界で一番美しいのは誰か」と尋ね、鏡はいつも女王だと答えていた。
ある日、歌を歌いながら井戸の水を汲んでいる白雪姫の歌声を聞いた王子は、彼女を見つけお互いに恋に落ちる。
その日、魔法の鏡はいつもと異なり「世界で一番美しいのは白雪姫です」と答えた。怒った女王は、狩人に白雪姫を殺せと命令。
しかし狩人は直前のところで思い留まり白雪姫に女王の陰謀を明かし、森に逃げて二度と戻ってこないようにと彼女に告げた。森に向かった白雪姫は道に迷ってしまうが、森の動物たちの助けで、森の奥にあるある小屋へ案内される。
小屋の住人は留守だったが、部屋がひどく散らかっていたので、白雪姫は掃除し、そのあと食事を作り始めた。
家に戻った、小人たちは小屋がきれいに掃除されていて驚き、白雪姫は小人たちのために掃除と料理をすると申し出ると、小人たちは彼女を歓迎した。城では、魔法の鏡が女王に、白雪姫がまだ生きていて小人たちと一緒にいることを明らかにし、それに激怒した女王は地下室に行き、永遠の眠りに陥れる毒リンゴを作る。
女王は”毒リンゴの呪いは恋人の初めてのキスで解ける”ことを知るが、小人たちは死んだと思って生きたまま埋めるだろうと気にしなかった。薬を使って老婆に変装した女王は翌朝、小人たちの小屋に向かう。
小人たちが仕事に出た後、白雪姫は家にやってきた老婆を家に招いてしまう。
異変を察知した動物たちは小人たちにそのことを告げに行くが、小人たちの到着が間に合わずに、白雪姫はリンゴを齧ってしまう。
老婆となった女王を見つけた小人たちは、彼女を追撃。
ついに崖に追い詰め、最後は女王は落雷によって谷底へと落とされる。小屋に戻った小人たちは、白雪姫を見つけ互いに涙するが、彼女の美しさを惜しみ、埋葬する代わりにガラスの柩に入れ、動物たちと一緒に片時も傍を離れようとしなかった。
時が流れ翌年の春、白雪姫を探し続けていた王子がやって来た。
白雪姫の死に悲しみながら、王子は白雪姫にキスをする。
すると毒リンゴの呪いが解けて白雪姫が目を覚ました。
平和の訪れと王子との再会の喜びを胸に、小人たちに別れを告げた白雪姫は王子と共に旅立ち、王子の国で末永く幸せに暮らすのだった。
「グリム童話」の原作との違い
ドイツの童話集「グリム童話」にある「白雪姫」は、ディズニーの白雪姫とは異なるところがいくつかあり、原作はけっこう残酷な物語になっている。
原作とディズニーの違うところ
- はじめは王子と出会わない
- 女王が実母のパターンもある
- 白雪姫は7歳で女王に命を狙われる。
- 小人たちに名前や性格づけはない。
- 女王が毒リンゴを作る前に、二度殺害を試みている。
一回目は「腰ひもで絞め殺す」、二回目は「毒の櫛を刺される」 - 白雪姫はガラスの棺の中で何年も眠り、若い女性に成長する。
- 王子は白雪姫の死体を見て一目ぼれ。
- キスは無く、死体を持ち帰るときに白雪姫がリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。
- 最後に女王は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ死ぬまで踊らされる。
原作は殆どロマンスを感じない物語で、かつ残酷。
さすがにこのままだと映画にはできないだろう。。。
世界初の長編カラーアニメーションへの挑戦
制作が開始されるまで
ウォルト・ディズニーが長編映画を制作するというアイデアを思いついたのは1933年で、シリー・シンフォニーの短編『三匹の子豚』が同年5月、成功裏に公開された後、長編映画を作る決意を固め7月、初めてフィルム・デイリー紙に長編映画製作の計画を明らかにし、翌年1934年6月に『白雪姫』の計画を正式に発表した。
彼は少年時代に、当時の有名女優マーガレット・クラーク(Marguerite Clark)が白雪姫として主演した1916年公開の無声映画「Snow White」を見て感銘を受けたことが、『白雪姫』を初の長編アニメーションとして選んだ理由でもあった。
新聞配達をしていたとき、カンザスシティでマーガレット・クラークが出演しているのを一度見たことがあります。新聞配達員全員を対象にした大々的な上映会があって、そこで『白雪姫』を見に行きました。
ウォルト・ディズニーが初の長編映画に『白雪姫』を選んだ理由(Snow White and the Seven Dwarfs Platinum DVD)より
おそらく、私が初めて見た大作映画のひとつです。1916年(当時15歳)か何かのことでした。ずいぶん昔のことです。とにかく、私にとっては完璧な物語だと思いました。
共感できる小人たちがいて、王子と少女がいて、ロマンスがあって、重苦しいところもありました。完璧な物語だと思いました。
しかし、ハリウッドの大物たちからは
- 短編のように6~7分ならいいが、1時間半は無理だ!
- 1分ごとに笑わせないといけない
- 明るい色は目を痛める
- みんな立ち上がって出て行ってしまうだろう
などと言われ、映画業界関係者は「ディズニーの愚行」と嘲笑、さらに、妻リリアンと弟のロイ・ディズニーも、この映画の制作を思いとどまらせようとした。
このプロジェクトは、当初少数のスタッフによって開発され、基本的なストーリーのアウトラインが完成した1934年10月30日にスタジオのスタッフ全員に紹介された。
3時間かけて白雪姫の物語全体を上演し、彼らの最初の長編映画の発表で締めくくった。
スタジオのスタッフはこのプロジェクトに興奮していたが、長編アニメが観客の興味を惹きつけるかどうか確信が持てなかった。
だが、ウォルトは、笑いだけでなく悲劇も含むしっかりしたストーリーがあれば、うまくいくと感じていた。
制作の裏側
ディズニーではそれまで400もの短編アニメーションを制作し映画業界にも確固たる地位を築いていたが、意外にも人間を忠実に描くことができる技術を持っていなかった。
彼らが描いてきたのは、ミッキーマウスに代表されるような擬人化された動物たち昆虫たちがほとんどで、そこの登場する人間がいても、それはコミカルに描き替えられた人間であった。
ディズニーはその技術を磨くために、当時短編作品として人気を誇っていた「シリーシンフォニーシリーズ」を利用した。
代表的な作品は1934年11月に公開された『春の女神(The Goddess of Spring)』で、そこで初めて八頭身の美しい女性を登場させた。
その半年を『クッキーカーニバル(The Cookie Carnival)』で女性の描写を大きく進歩させ、その後、動物の細かな動きをテストする手段として『三匹の親なし子ねこ(Three Orphan Kittens)』を制作。
『風車小屋のシンフォニー(The Old Mill)』では、たくさんのセル画をそれぞれ異なった距離に配置し撮影することで、奥行きのある表現を生み出すことができる「マルチプレーン・カメラ」が初めて使用され、3次元的な奥行きを表現した。
「マルチプレーンカメラ」は他社でもすでに数年前より使用されていただ、ディズニーではより高度な「マルチプレーンカメラ」を開発し、1937年初頭に完成した。
カメラが完成した時『白雪姫』の撮影はほぼ完了していたが、ウォルトは新しい効果を使用するためにいくつかのシーンを描き直すよう命じた。
その一つは、女王が老婆になる薬を飲むと、周囲のものが彼女の周りを回転するように見えるシーンに使われた。
アニメーションへのこだわり
当時、ディズニースタジオのアニメーターのうち、芸術教育を受けた者はほとんどいなかったが、その中に、ヨーロッパで教育を受け、女性の解剖学に対する理解がある「グリム・ナトウィック(Grim Natwick)」がいた。
彼はフライシャースタジオで「ベティ・ブープ(Betty Boop)」のデザインとアニメーション化に成功したアーティストで、1934年11月からディズニー社で働き、最初の仕事は『クッキー・カーニバル』の女性主人公を制作することだった。
その仕事を認められたナトウィックは『白雪姫』の主任アニメーターとなり、ヒロインである白雪姫の主任責任者となった。
また、白雪姫と王子と女王の実写映像が撮影され、白雪姫と王子のいくつかのシーンは実写映像から直接トレースされた。
これはモデルの動きをカメラで撮影し、トレースしてアニメーションにするロトスコープと言われる手法で、よりリアリティな動きを表現できる反面、アニメーションにそぐわないとして反対もされていたが、すべての映像をなぞるのではなく、トレース箇所を選択しつつ動きに誇張を加えることにより、キャラクターの動きにリアリティを付与する方法を選んだ。
1936年までに、アルバート・ハーター(Albert Hurter)が映画の美術監督に任命され、キャラクターの衣装デザインからレイアウトや背景、岩の形状までも、映画で使用されたすべてのデザインは、最終決定する前に彼の承認を得る必要があった。
ベルリンで7 年間芸術を学んでいたハーターは、ヨーロッパのイラストや絵画技術をアニメーションに取り入れ、映画全体のドイツ風の外観を考案するのに重要な役割を果たした。
映画の中で最もよく知られているシーンの一つで、小人達が初めて登場する「ハイホー」を歌いながら行進しているシーンは、アニメーターのシェイマス・カルヘイン(Shamus Culhane)が担当した。
このシーンは6 人の小人が同じテンポで行進しているが、キャラクターに合った動きをそれぞれに与えなければならず、かつ特殊な画角と遠近法、さらに、最後尾のドーピーは、他の小人たちと違い飛び跳ねていたため、画面上では 1 分もないこのシーンに、6 か月の時間を掛けたと語っている。
初期のアウトライン
初期の提案の1つには、白雪姫が小人の家にたどり着く前に、眠りの谷、怪物の沼、ドラゴンの谷などの一連の魔法の場所を旅するという内容が含まれていた。
女王が、王子を地下牢に監禁し、後に王子が城から脱出するために戦うという設定も考えられていた。
また、小人たちが物語の中心になると考えられ、物語は白雪姫が小人の小屋を発見するところから始まるべきだとウォルトは感じていた。
そのため小人たちのために多くのシーンが書かれていたが、ある時点で、物語の主軸は女王と白雪姫の関係にあると決定され、制作済みであった小人たちが登場するシーンがいくつか映画からカットされた。
キャラ設定については、白雪姫はもっとおてんばなキャラクターで、女王は、太っていて、滑稽な女王の提案などがあったが、最終的に白雪姫は女性らしく可憐な王女に、女王は堂々とした美しい姿に変更された。
七人の小人たちにそれぞれ名前を付け、個性を持たせることは当初から決められ、「ドーピー」は非常におしゃべりだと設定されたが、適切な声優が見つからなかったために、しゃべらないキャラクターに変更された。
6倍に膨れ上がった制作費を取り戻す ”大ヒット”
当初制作費として、短編作品の「シリー・シンフォニーシリーズ」の約10倍にあたる25万ドルで製作できると見積もっていたが、最終的には6倍にもなる149万ドルの制作費がかかった。
更に4年の歳月、約25万枚という膨大なのセル画が使用され、映画業界の多くは会社が倒産するだろうと予想した。
現在はデジタル化してセル画は使用されなくなったが、通常のアニメーションで1秒あたり8枚のセル画が使用されるので120分の映画でも5万7600枚セル画で表現できる計算になる。
それなのに83分の白雪姫で25万枚というのが如何に異常な量であるかわかる。
ディズニーは製作費を捻出するために自宅を抵当に入れなければならず、映画を完成させるために25万ドルの融資を必要とした。
ディズニーはバンク・オブ・アメリカのジョセフ・ローゼンバーグのためにラフカットを制作し上映。
ローゼンバーグは上映中無表情で座っていたが、「ウォルト、あれは大金になるぞ」と言い、融資を承認した。
何とか資金を調達でき、多くの反対と困難を乗り越えて、1937年12月21日、ついに世界初の長編カラーアニメーション『白雪姫(原題:Snow White and the Seven Dwarfs)』は、ハリウッド黄金時代の最も有名な映画館「カーセイサークル シアター(Carthay Circle Theatre)」で公開された。
観客には当時のハリウッドスターたちが詰め掛け、上映終了時にスタンディングオベーションを受ける。
その6日後、ウォルト・ディズニーと七人の小人はタイム誌の表紙を飾った。
『白雪姫』は、多くの期待を裏切り、当時の通常作品の4倍となる、6100万ドル以上の興行収入を上げる大ヒットとなったのである。
1938年「白雪姫」の功績によりウォルト・ディズニーがアカデミー特別賞(現在は名誉賞に呼び名変更)を受賞。
最優秀音楽賞はノミネートしたが受賞には至らなかった。
このとき贈られたアカデミー特別賞は、標準的なオスカー像 1 体と、階段状の台座に置かれた小型像 7 体で構成されたトロフィーだった。
その後、第二次世界大戦中の1944年に初めて再公開されてから何度も再公開を重ね、イギリスでは2023年にも再公開され、2024年までの累計興行収入は、なんと”4億1800万ドル”を記録している。
作品の魅力
登場キャラクター
- 白雪姫(Snow White)
優しくて可憐な容姿の14歳の王女。 - 王子(The Prince)
初めてのキスで彼女を救うロマンチックな王子。 - 女王(The Evil Queen)
白雪姫の継母。嫉妬深く邪悪で残酷。実は魔女でもある。 - 魔法の鏡(The Magic Mirror)
- 狩人(The Huntsman)
以下は7人の小人たちで名前は性格に基づいた名がつけられている。
- ドック/先生(Doc)
温和な性格で先生のように物知りなメガネをかけた小人。7人のリーダー的存在。 - グランピー/おこりんぼ(Grumpy)
頑固で怒りっぽい、最初は白雪姫に反発していた。 - ハッピー/ごきげん(Happy)
元気いっぱいのムードメーカー。七人のなかで唯一、白い眉毛をしている。 - スリーピー/ねぼすけ(Sleepy)
いつも寝たそうな顔をしのんびりしている。 - バッシュフル/てれすけ(Bashful)
内気で照れ屋、すぐに真っ赤になる。 - スニージー/くしゃみ(Sneezy)
花粉症に悩む小人、周囲の悩みの種でもある。 - ドーピー/おとぼけ(Dopey)
見た目も子供っぽいしゃべらない小人。小人の中では唯一髭が無い。
白雪姫の声優「アドリアナ・カセロッティ」
白雪姫の声優に選ばれた「アドリアナ・カセロッティ(Adriana Caselotti)」は1934年9月にオーディションを受けた最初の人物であった。
ウォルト・ディズニーは彼女の声に感銘を受けたが、その後、約150人の女優と歌手のオーディションを行った。
その中に、後に有名女優・歌手になるディアナ・ダービン(Deanna Durbin)もいた。
ウォルトは、彼女の声が大人すぎると感じたため選ばれなかったが、彼女は当時14歳、アドリアナ・カセロッティは18歳だった。
カセロッティは最初のオーディションからちょうど1年後の1935年9月に白雪姫役に選ばれ、1936年1月20日に最初のトラックを録音した。
ウォルトは白雪姫の声を”特別な一回限りの歌声”として残したいと考え、アドリアナ・カセロッティと非常に厳しい契約を結んだた。
そのため彼女は、『オズの魔法使い』(1939年)での端役を除いて、その後映画で本格的に歌う役を演じることはなかった。
彼女が劇中で歌った歌は「私は願っています(I’m Wishing)」「笑顔と歌で(With a Smile and a Song)」「仕事中に口笛を吹く(Whistle While You Work)」「いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)」がある。
私は白雪姫の声を、日常から離れた、別世界にいるようなものにしたかったのです。私は歌をたくさん使うつもりだったので、歌える人も必要でした。
ウォルト・ディズニー、アドリアナ・カセロッティを白雪姫役に起用したことについて
私はその声を聞き「完璧だ」「14歳の少女のように聞こえる」と言いました。それで決まりでした。
彼女はオペラ一家の出身で、鳥のような美しい歌声をすべて披露できました。
日本語吹き替え版の「白雪姫」声優
日本語吹き替え版の「白雪姫」は、1958年公開版が「富沢志満」、1980年公開版が「小鳩くるみ」が演じた。
富沢志満はその後、1959年公開のピノキオでフランス娘、1961年公開のシンデレラでシンデレラも演じた。
小鳩くるみは(タレント・翻訳家としては鷲津名都江を名乗っている)、童謡歌手でもあり、劇中の歌も歌っている。
歌と音楽
劇中のすべての歌はフランク・チャーチル(Frank Churchill)が作曲し、歌詞はラリー・モリー(Larry Morey)が書いた。
フランク・チャーチルは、商業的に大成功を収めた『三匹の子豚』の曲「オオカミなんかこわくない」の作曲者で、後に1942年の『ダンボ(Dumbo)』や1951年の『バンビ(Bambi)』の作曲も担当した。
「いつか王子様が」は、オスカー・ピーターソンやマイルス・デイヴィス、デイヴ・ブルーベックらに取り上げられ、ジャズ・ミュージシャンの定番に定着した。
Happy Birthday, to the late #DisneyLegend, Frank Churchill
— Disney Wiki (@Disney_Wiki) October 20, 2023
He was an American composer of popular music for films.
He wrote most of the music for Disney's 1937 movie, Snow White and the Seven Dwarfs, including "Whistle While You Work" and "Someday My Prince Will Come". pic.twitter.com/6WHEysagzl
『白雪姫』で歌われている歌
※この映画のために25曲が作曲されたが、使われたのは8曲だけとなった。
- アドリアナ・カセロッティ(白雪姫声優)
「私は願っています」
(I’m Wishing)
「笑顔と歌で」
(With a Smile and a Song)
「口笛を吹いて働こう」
(Whistle While You Work)
「いつか王子様が」
(Someday My Prince Will Come) - ハリー・ストックウェル(王子声優)
「ワンソング」
(One Song) - ドワーフ合唱団※
「ハイホー」
(Heigh-Ho)
「ブラドル・アドル・アム・ダム」
(Bluddle-Uddle-Um-Dum/小人たちの洗濯歌)
「おかしな歌」
(The Silly Song/小人たちのヨーデルの歌)
※ドワーフ合唱団は5人の小人たちの声優で構成された合唱団
『白雪姫』のサウンドトラック『Snow White and the Seven Dwarfs』は商業的に発売された最初のサウンドトラックアルバムとして有名で、1938年1月に最初に発売されて以来、様々な形で何度も再販されている。
『白雪姫』後のディズニー映画
「白雪姫」の成功により、ディズニーは長編映画製作を本格的に進めることとなった。
ウォルト・ディズニーは白雪姫の収益の多くを、現在もディズニー・スタジオがあるバーバンクに新スタジオを建設するために使った。
その後、2年以内に「ピノキオ」と「ファンタジア」を完成させ、「ダンボ」、「バンビ」、「不思議の国のアリス」、「ピーター・パン」の製作を開始した。
2016年10月、『白雪姫』の実写化が発表された。
監督は、マーク・ウェブ(Marc Webb)
脚本は、グレタ・ガーウィグ(Greta Gerwig)とエリン・クレシダ・ウィルソン(Erin Cressida Wilson)
音楽は、2019年の実写版『アラジン』の新曲も書いたベンジ・パセク(Benj Pasek)とジャスティン・ポール(Justin Paul)が、新曲を書き下ろす。
映画の公開予定は2025年3月21日。
白雪姫役として「レイチェル・ゼグラー(Rachel Zegler)」、女王役として「ガル・ガドット(Gal Gadot)」が選ばれた。
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